2005年7月15日金曜日

『風を読む 老舗とモダン 縁結び』日経MJ 2005年07月15日


風を読む
老舗とモダン 縁結び
クリップ社長 島田 昭彦

「素晴らしい商品だと思っているのになぜ受け入れられないのか」。売り上げ不振を訴える経営者に、島田昭彦(41)は「人を喜ばれる仕掛けを忘れているだけ。任せてください。」とポンと胸をたたく。出身地の京都の老舗から受け継いだ伝統と革新の融合で生き抜く知恵と、アスリート取材や放送業界で身に付けた観察眼と人脈を駆使し、”縁組ビジネス”を繰り広げる。企業や地域を活性化させる知のコラボ(コラボレーション、協業)目指し東奔西走する。


京都の街・企業を活性化

初夏の夕暮れの京都・東山。緑にはえる清水寺の舞台では、照明や音響のチェックなどあわただしく奉納演奏会の準備が進む。アコーディオン奏者のCoba(コバ)さん、主催者である呉服販売の啓明商事(京都市)の野瀬兼治郎社長、清水寺での催し物を取り仕切るマフィア・コーポレーション(同)の間を、島田は最終調整に駆け回る。

人を引き合わせてイベントを企画するだけでなく、最後まで現場に立ち会うのが島田流だ。

啓明商事は創業百十一年を迎える老舗呉服店。着物離れが続く中でも、島田が紹介した二十歳代女性のための雑誌への掲載が奏功し、「全国から新規のお客さんがこうてくれはります」(野瀬社長)。では古参の客はどうか。「次は上得意客のために、何か特別なことを」と頼まれて考えたのが、京都の中でも最も格式のある寺の一つ、清水の舞台での奉納演奏会だ。
(演奏会の様子)

 


清水の舞台を貸し切りで使うのが難しいことは京都人なら知っている。島田は、古くから寺に寄進をしている啓明商事の知人をつてに、仕切りのマフィア・コーポレーションに掛け合った。


寺だからといって琴では斬新さがない。顧客の年齢や京都市がフィレンツェと姉妹都市であることなどを考え、イタリアに学んだ経験のあるCobaさんを呼ぶことを提案した。


Cobaさんとはラジオ番組のナビゲーターをする中での知らぬ仲ではなかったが、演奏旅行の合間に引き受けるなど、島田の熱意は双方に伝わった。決め手になったのは京都で百年の歴史を持つ紋章工芸師の家に生まれた島田の「地元の人間」という、京都と京都人への強い意識だ。これが伝統を重んじる中でも、新しいモノやコトを常に探求する精神を刺激した。

立教大進学のために京都を離れて約二十年。最近では京都から、地域産業再生のためのアイデアを求められ、週に三回往復することも珍しくない。商工会議所の伝統工芸ビジネス交流会で講師を務めた。清水焼や西陣織など、自らが商品企画に関わったり、雑誌「モノ・マガジン」に連載中の、伝統とモダンが融合した新しい商品を作家も招いて紹介。次のヒントを求める若手たちに刺激を与えた。

雑誌「Number」のサッカー取材でイタリアへの渡航も多く、文化や言葉のわかる島田に、フィレンツェと京都の老舗企業のコラボを目指す京都経済界も目をつけたかたちだ。「京都の中にだけいては気づかないかもしれないが、伝統の中には普遍的な良きモノとかコトといったアイデアが隠されている」。

廃業の危機にあった染工場の若社長に「アロハシャツを作って見ては?」と提案したのがきっかけでできたのか、亀田富染工場の京友禅アロハシャツ「パゴン」ブランド。大手百貨店からも引き合いが相次いでいる。十六日には、祇園祭の宵山でにぎわう。京都の伝統的家屋の京町屋を使い、男性アカペラグループのミニライブも開催するほか、九月からは二か月に一回、商工会議所で「島田マーケティング塾」を受け持つことも決まった。

六月、島田がフリーの立場から一歩踏み出し、新会社「クリップ」を設立した。社名は「人と人、モノとモノ、文化と文化を結びつける」という意味を込め、文具のクリップからとった。お披露目パーティーをした東京タワーを見上げるレストランには二百人近くが集まり、中には一五年来の友人のバイオリンニストの葉加瀬太郎や、元F1レーサーの片山右京の姿もあった。次は何をクリップするのだろう? 島田の視線の先をみんながうかがう。
(葉加瀬太郎氏)

  

京都で育ち、東京でビジネスの足場/音楽・スポーツ界などに人脈

「京都から出て。世の中に何かを発信したい」。島田が漠然と将来について思ったのは、高校生の時だったという。京都から東京に住む書道家のおじの自宅に自転車で行こうとしたこともある。京都市の中心部にある生家は、着物に手書きで紋を入れる紋章工芸を営む。堅苦しい雰囲気への反発を感じた時期もある。

同志社大学に進学するが、すぐに東京の大学を再受験。卒業後も工芸師の父の跡継ぎを選ばず、マスコミ業界で活動を続けた。「道を間違えたと感じたことはない」が、イチローや中田英俊などトップアスリートの取材を通じ、「ほとばしる才能と最後まであきめない精神の強さを目の当たりにするうち、自分しかできないことは何かを改めて考えるようになった」。

音楽やスポーツ関連業界で働いた二十年間に積み上げた人脈と京都の工芸師のもとに生まれ、育ったことではぐくまれた感性。生活者としての「こんなモノやコトがあればな」という感覚を具体化しつつ、不振の事業者や街の再活性化を進めようと、仕掛け人になることを決めた。

知恵に対する価値を評価しない人から見ると、島田のビジネスは「原価ゼロ」と映り、形の見える商品のような売り上げ予測は立ちにくい。

ただ、「どんな緻密(ちみつ)な工業製品でも、常に型は古くなる。自分という商品に新しい情報という材料を与え続け、発想を絶やさない努力もする」。仲間の誘いには笑顔で応じ、一泊三日でペルージャの試合を見に欧州に出かけることも平気だ。

縁と縁を頼りにしたビジネスに変わりはないが、「アイデアを貸して」との依頼が多くなる中、法人化に踏み切った。まだ社長兼社員の小さな所帯だが、「縁と縁は円も有む」と意欲的。年商五千万円の早期達成を目指す。

現在は、京都の老舗料亭「京都嵐山吉兆」主人らと京野菜を使った新商品作りや、三年前に京都の衣料品専門店で知り合った、イトーヨーカ堂取締役執行役員衣料事業部長の藤巻幸夫氏に頼まれ、女子高生に人気のアーティストを使ったイベントと商品販促を仕掛け中。
 「どんな価格からでも相談次第。何かやれるかをひざをつき合わせて考えていきたい」


しまだ・あきひこ
1964年(昭和39年)京都市生まれ。87年立教大卒。雑誌営業職などを経て91年から10年間、雑誌「ナンバー」の編集に携わる。ラジオ「J-WAVE」で、スポーツコメンテーターとして活動しながら、数々のコラボを仕掛け、6月クリップ設立。

=敬称略

文 吉野真由美
写真 今井拓也(※WEB掲載写真は異なる)