2007年9月3日月曜日

『老舗を興す(3) 日吉屋5代目 西堀耕太郎さん 傘がともす和のこころ』日本経済新聞(夕刊) 2007年09月04日

老舗を興す(3) 日吉屋5代目 西堀耕太郎さん 傘がともす和のこころ

和紙を通して電球の明かりがほのかに透ける。「古都里(ことり)」は和傘の仕組みを転用し、かさ部分を折り畳んだり広げたりできる照明器具だ。京都市の和傘製造元、日吉屋が今年二月に発売。手作りでもあり、今も生産が追いつかない。

「おしゃれと感じて使い、後で傘と分かればいい。」五代目、西堀耕太郎さん(32)の前職は公務員。妻の実家が日吉屋だった。

京都で唯一残った和傘屋も四代目で店じまいのはずだった。市場は縮小、たまの注文も野点用の大傘の修理程度。一本五百円のビニール傘さえ売っていた。跡を継ぐことに周囲は猛反対した。

それでもめげず、週末に五時間かけて自宅のある和歌山県新宮市と京都を往復し、見よう見まねで技術を学んだ。「竹の骨組みの幾何学的な構造や透過光が本当にきれいだった。」原点は、妻の実家で初めて和傘を見たときの感動だ。

ネット通販で売り上げを伸ばすなど滑り出しは順調に見えたが、いまひとつ物足りない。転機は、伝統工芸と日用品の融合に取り組む島田昭彦さん(43)、照明デザイナーの長根寛さん(40)との出会い。三人で現代風のデザインと、開閉自在の伝統のかさをねじで固定する方法を開発、一年後に古都里が完成した。

今年五月に照明大手、コイズミ照明(大阪市)との合作品を発売、六百台を受注した。来年一月にはフランスのインテリア展示会に出品する。

九十歳など高齢化していた職人も一気に若返った。今では西堀さんが最年長。縁もゆかりもなかった若者の決意は図らずも世代交代まで実現させた。

「伝統的な蛇の目傘も、江戸中期は流行の最先端だった。変化や革新の連続が伝統をつくる」。一九七五年に来日した英エリザベス女王が楽しんだ桂離宮の野点にも、日吉屋の和傘は使われた。次代の伝統づくりが始まっている。


和傘  竹と和紙で作る傘。一本の竹を割り、順番に糸でつなぎ骨組みを作る。和紙を張り乾燥したら内側に折り畳み、もとの竹のような円筒形にする。江戸時代に普及、明治期には製造元が京都だけで約二百軒あった。今も残るのは京都は日吉屋のみ、全国でも十軒ほど。